This photo of my photoblog was taken in Okayama.
写真ブログの写真は岡山で撮影。
追求と寛容
土門は完全主義者としても知られており、生来の不器用さを逆手に取り、膨大な出費や労力をいとわず、何度も撮影を重ねることによって生まれる予想外の成果を尊んだ。撮影時の土門の執拗な追及を伝えるエピソードは数多く、1941年に画家の梅原龍三郎を撮影した際は、土門の粘りに梅原が怒って籐椅子を床に叩きつけたが、土門はそれにも動じずその怒った顔を撮ろうとレンズを向け、梅原が降参した一件や、1967年に東大寺二月堂のお水取りを取材した際にも、自然光にこだわり、真夜中の撮影にもかかわらず一切人工照明を使わず、度重なる失敗にもめげずに撮影を成功させた逸話などがある。撮影中は飲まず食わずで弟子にも厳しく、「鬼の土門」と称されるほどの鬼気迫る仕事ぶりであったが、人を惹き付ける魅力があり、多くの後進を育てた。→「関連項目」を参照。
写真集へのこだわり
土門は、作品発表の場として展覧会よりも写真集を重視し、『古寺巡礼』全五集(美術出版社より1963年~1975年出版)では写真のサイズや説明文の位置などもすべて自ら指示、造本も天金仕様で桐箱つき。題字の揮毫を文化人に依頼するなど(第一集→梅原龍三郎、第二集→福田平八郎、第三集→安田靫彦、第四集→川端康成、第五集→井伏鱒二)非常に豪華なものとなり、定価も第一集が二万三千円と、大卒者の初任給が四万円程度であった当時、大変高価なものであった。本書以外にも土門の写真集は豪華本が多く、批判も受けたが、土門の造本へのこだわりは作品を永く後世に残したいという願望のあらわれであったと思われる。
彼が渡米した時期のアメリカでは、メディアにおける映像の氾濫により現実が変容した状況が指摘され、「あるがままの世界」を写すというストレートフォトグラフィの失効やピクトリアリスムの再評価が主張されるなど、写真においてもモダニズムが問い直されポストモダニズムが勃興する時期だった。彼は構図や照明の計算により絵画的な画面を実現しピクトリアリスムに接近しているが、一方で「ポストモダン時代を経験したポストモダン以前のモダニスト」を自任するなどモダニズムの立場に立ち続けている彼は、写真には嘘をつかせないというモダニズムの倫理を守ろうとしている。また「真実らしさで満ちている世界で、写真が真実を写し出すことはない」としつつ、個人の存在を超えた時間の積み重なりや流れをとらえるためのコンセプトや方法を模索している。最初のシリーズの『ジオラマ』ではニューヨークのアメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮った。精巧なジオラマを本物に見えるよう注意深く撮ったシリーズは、「写真はいつでも真実を写す」と考えている観客には一瞬本物の動物や古代人を撮ったように見えてしまう。1999年からのシリーズ『ポートレイト』では偉人たちや有名人たちの蝋人形を、16世紀の絵画をほうふつさせる照明で撮影し、あたかも生きた本人を撮影したかのような作品に仕上げた。これらのシリーズは迫真性をもって撮りながらその写すものは偽物であるという一方で、時間を超えた存在を写すという主題にもつながっている。彼の作品シリーズは、厳密なコンセプトを立ててそれを実現するというコンセプチュアル・アートの影響のあるものである。『海景』のシリーズは「海を最初に見た人間はどのように感じたか」という問題提起を最初に立て、世界各地の海を撮影した。大判カメラですべて水平線が中央にくるように撮影された白黒写真のシリーズは、同じ構図を延々と繰り返し制作することにより個別の海という同一性を奪われる。闇の中の一本の和蝋燭が燃え尽きるまでを露光した『陰翳礼讃』は光の帯と影だけという写真の最小限のものだけを写し取った。『劇場』シリーズは映画を撮影したもので、アメリカ各地の古い劇場やドライブインを訪れ、映画上映中の時間フィルムを露光し、結果真っ白になったスクリーンとスクリーンに照らされた劇場内部が写った。時間の経過によって、映画という「嘘」が光に蒸発したさまが撮られている。『建築』では世界の記念碑的なモダニズム建築を、焦点を無限倍にして撮影し、夾雑物が取り除かれた建築の霊のような姿が撮られた。『関数模型』では、芸術的野心なく純粋な合理的思考を形にした模型を撮影している。