This photo of my photoblog was taken in Okayama.
写真ブログの写真は岡山で撮影。
中平卓馬(なかひら たくま、1938年-)は日本の写真家、写真評論家。「現代の眼」編集者時代には、柚木明の名前で作品を発表。写真家として1960後半から70年代にかけて活躍したが、1977年9月11日午前3時頃アルコールによる昏睡状態に陥り、言語、記憶の一部を失う(アルコール中毒症による逆行性記憶喪失)。その後、再び写真を撮り始める。中平は饒舌な写真家だった。写真を撮りつつ、そのバックボーンとなる思想をこれほど語り尽くした作家はいないだろう。その中で「写真を撮ることで自己の解体・再生を目指す」という理論にたどり着くが、その言葉は自分の作家活動を縛り上げ、次第にスランプに陥っていく。1977年のアクシデントにより、記憶と言葉を失うことで自縄自縛状態を脱し、より一層写真の本質を問うような作品を撮り続けている。
追求と寛容
土門は完全主義者としても知られており、生来の不器用さを逆手に取り、膨大な出費や労力をいとわず、何度も撮影を重ねることによって生まれる予想外の成果を尊んだ。撮影時の土門の執拗な追及を伝えるエピソードは数多く、1941年に画家の梅原龍三郎を撮影した際は、土門の粘りに梅原が怒って籐椅子を床に叩きつけたが、土門はそれにも動じずその怒った顔を撮ろうとレンズを向け、梅原が降参した一件や、1967年に東大寺二月堂のお水取りを取材した際にも、自然光にこだわり、真夜中の撮影にもかかわらず一切人工照明を使わず、度重なる失敗にもめげずに撮影を成功させた逸話などがある。撮影中は飲まず食わずで弟子にも厳しく、「鬼の土門」と称されるほどの鬼気迫る仕事ぶりであったが、人を惹き付ける魅力があり、多くの後進を育てた。→「関連項目」を参照。
写真集へのこだわり
土門は、作品発表の場として展覧会よりも写真集を重視し、『古寺巡礼』全五集(美術出版社より1963年~1975年出版)では写真のサイズや説明文の位置などもすべて自ら指示、造本も天金仕様で桐箱つき。題字の揮毫を文化人に依頼するなど(第一集→梅原龍三郎、第二集→福田平八郎、第三集→安田靫彦、第四集→川端康成、第五集→井伏鱒二)非常に豪華なものとなり、定価も第一集が二万三千円と、大卒者の初任給が四万円程度であった当時、大変高価なものであった。本書以外にも土門の写真集は豪華本が多く、批判も受けたが、土門の造本へのこだわりは作品を永く後世に残したいという願望のあらわれであったと思われる。