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This photo of my photoalbum was taken in Okayama.

英語を第一言語としている人の数は3億8千万人程度で、言語人口第1位の北方中国語(約 9億人)と比べかなり少ない。しかし中国語が主に中国国内および各地の中国人社会だけで通用しているのに対して、英語で意思の疎通ができるあるいは英語を理解できる人口を考えると状況は一変し、文句なしに世界最大の使用人口を誇る言語といえる。英米の影響などで英語が国際共通語として使われるようになったこと、商業言語として確立したこと、科学技術を伝達する主要な言語となったこともあり、第二言語 (English as a Second Language; ESL) として用いる人口は約6億人に上る。外国語 (English as a Foreign Language; EFL) として英語を学習・使用する人も多い。そのため、世界各国でイギリス方言・アメリカ方言などの英語の枠組みを超えた「新英語」が出現するようになった。

近代美術館設立の構想は、L.P.ブリス女史、C.J.サリヴァン夫人およびJ.D.ロックフェラー2世夫人という3人の女性によって発案され、開館したのは1929年である。日本の時代区分でいえば昭和のごく初期に早くも前衛美術専門の美術館の設立が構想されていたことは注目される。開館第1回展は「セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ゴッホ展」であった。このことは、印象派の次の世代(ポスト印象派)にあたる画家の彼らが当時の「前衛」であり、20世紀以後の「現代美術」の最初の画家たちであったことを象徴している。第1回展の展示風景の記録写真を見れば、19世紀式のサロン風の展示ではなく、昨今の美術館にみられるような、ニュートラルな白い壁面(ホワイトキューブ)に絵画が掛けられているが、これも当時としては斬新であった。以後、建築や前衛美術についての意欲的な企画展を連発しながらいちはやく優品の収蔵を進めていった。とくに企画展に際して発表される諸論文や、個々の作家や作品を美術史の文脈の中に位置づけてゆく構想力は、全世界の同時代美術の見取り図や歴史、筋書きをこの美術館が全部書いているような錯覚すら起こさせる。それゆえ、MoMAが現代美術の価値を決定している現状に対する反発も美術家・美術関係者の間には少なからず存在する。また、建築、商品デザイン、ポスター、写真、映画など、美術館の収蔵芸術とはみなされていなかった新しい時代の表現までをも収蔵品に加え、常設・企画展示・上映などを行うことで、世界のグラフィックデザインの研究の中心としての地位をゆるぎないものにした。ここには、日本製の電気製品や家具、映画作品などもデザインの歴史に影響を与えた優れた作品として収蔵されている。2007年1月にはauのau design projectで生まれた、日本でのみ利用できる4機種の携帯電話が収蔵品に選定されたことで話題になった。戦後、1952年にはインターナショナル・プログラムを早くも発足。この機関はMoMAによって構成される「MoMAインターナショナル・カウンシル」が経済支援のネットワークを盤石にし、世界各国の美術館関係者と人的ネットワークを構築し交流するプログラムを定期的に設け、巡回の受け入れ先を確保し、コレクションの貸し出しで報酬を得る。これらは実に優れた交流機関であり、美術館経営に効果的な事業スキームを持つ。このような機関は世界においても例がないという。 MoMAの理事会には経済界で強力なリーダーシップを持ったロックフェラー家のような名士が名を多く連ねており、彼らは率先して資金調達を成し遂げる。 MoMAファミリーになることは世界の資産家において魅力的なことであり、一流のカルチャーリーダー、一流資産家であることの証しでもある。2005年の新館完成に伴い入場料が12ドルから20ドルへ値上げされ、これはニューヨーク市の美術館のなかでは最も高い入場料でもあり、MoMAがニューヨークにもたらす波及効果と共にさまざまな賛否両論を巻き起こした。なお、毎週金曜日の午後 4時以降は Target Friday と呼ばれ、入場料は無料になる。10万点以上の所蔵品を誇るMoMAは、近現代美術の殿堂として、活発な活動を続けている。

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