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This photo of my photoblog was taken in Tokyo. 写真ブログの写真は東京で撮影。

ルーヴル美術館は、セーヌ川の右岸に位置し、ルーヴル宮殿の大部分を占めている。建物は、1190年にフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)がパリ防衛のための城砦を築いたのに始まる。ルネサンス様式の宮殿に改築された16世紀のフランソワ1世の時代からナポレオン3世の時代まで実に3世紀以上を費やして完成した壮大な建物で、16世紀以降、近代までのフランス建築ならびに装飾の粋を集めるものである。フランソワ1世以後の歴代王室の収集品を基として、フランス革命後の1793年にフランス共和国により公開された。フィリップ2世(在位1180-1223)が築いた城砦の遺構は現在も一部が保存されている。この城砦を初めて王宮へと改築したのはシャルル5世(在位1364-1380)で、建築家のレーモン・デュ・タンプルに命じ、1364年から改築に着手した。その後もこの建物は歴代のフランス王によって拡大と改築が続けられていった。その中でルーヴルをルネサンス様式の壮麗な宮殿に改築しようとしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとしても知られるフランソワ1世(在位1515-1547)である。改築は建築家ピエール・レスコの指揮で1546年に開始されたが、翌年フランソワ1世が没したため、仕事は息子のアンリ2世(在位1547-1559)に引き継がれた。アンリ2世の死後、その妻カトリーヌ・ド・メディシスは、セーヌ河に沿ってルーヴルと西のチュイルリー宮を直接結ぶ、長大な「水の回廊」(今日「グランド・ギャルリ」として知られる)を建設させた。「水の回廊」の建設や建物東端に位置するクール・カレ(方形宮)の拡張を含む「グラン・デッサン」(大計画)はアンリ4世(在位1589-1610)の時代にひとまず完成したが、造営はその後も続いた。太陽王ルイ14世もさらなる拡張工事を進めたが、後に彼がヴェルサイユ宮殿の造営に尽力するようになってからルーヴルの工事は中断し、建物は王宮としての役割を果たさなくなった。その後、ルーヴルには国の役所や芸術家の住居に当てられるなど長らく他の用途に使われていたが、1789年のフランス革命後、ルーヴルを美術館とすることが決まり、1793年、「諸芸術の中央美術館」として正式に開館した。ただし、一般の人々への公開は1801年からとされている。1985年から1989年にかけて、ミッテラン政権下の「グラン・ルーヴル・プロジェ」により大改築が行われた。主に地下部分に増築を行い、大蔵省等ルーヴル宮殿内にあった政府機関を移転するとともに、I・M・ペイ設計によるガラスのピラミッド(内部に逆ピラミッド)を中庭におき、その直下に美術館部と新たに設けられた店舗・食堂部門を結ぶアネックスをもつ近代的な美術館の面も持ち合わせるようになった。2009年、フランス北部のランス(Lens)に分館がオープンする予定である。設計は日本人による設計事務所SANAA(妹島和世・西沢立衛)に決定している。

グリム兄弟(Brüder Grimm)は、19世紀にドイツで活躍した言語学者・文献学者・民話収集家・文学者の兄弟。日本では、『グリム童話』の編集者として有名。大人になるまで成長した兄弟としては男5人、女1人の6人兄弟であったが、通常は後世にまで名を残した長兄ヤーコプと次兄ヴィルヘルムの二人を指す。(今日では後述の末弟・ルートヴィッヒも含むこともある)多くをヤーコプ・ヴィルヘルムの兄弟として活躍したが、グリム童話集ではルートヴィヒも挿し絵を手がけている。

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