This photo of my photoblog was taken in Tokyo.
写真ブログの写真は東京で撮影。
1839年、ポール・セザンヌは裕福な銀行家の息子として南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれた。自然主義文学の代表的作家エミール・ゾラとは少年時代からの友人だった。1862年、画家を志してパリに出る。ロマン主義のウジェーヌ・ドラクロワ、写実主義のギュスターヴ・クールベ、のちに印象派の父と呼ばれるエドゥアール・マネらから影響を受ける。「カフェ・ゲルボワ」の常連たち(後の「印象派」グループ)と知り合い、とくに9歳年長のカミーユ・ピサロと親しくなった。二人は1872年にはポントワーズで、1873年にはオーヴェル=シュル=オワーズでイーゼルを並べて制作した。この頃、オルタンス・フィケと知り合い後に同棲するが、厳格な父を恐れ長男ポールの誕生後も彼女との関係を隠し続けた(発覚後、父は激怒したという)。1874年の第1回印象派展に『首吊りの家』を出品し、以後第3回に出品した。初めてサロンに入選したのは43歳のときである(『画家の父』(1882年))。このときセザンヌは友人の審査委員に頼み込み、やっとの思いで入選を果たしたという(ゾラとの絶交はこの不正が原因とも見られる)。1886年、ゾラの小説『制作』が自分を中傷していると感じ、ゾラと絶交した。同年、父親が亡くなったため遺産を相続し、内縁の妻と正式に結婚した。そして故郷に戻り、サント・ヴィクトワール山などをモチーフに絵画制作を続けた。経済的な不安はなかったものの、絵はなかなか理解されなかった。1895年、アンブロワーズ・ヴォラールの画廊で初個展を開き、一部の若い画家たちから注目され始めた。セザンヌは、時間とともに移ろう光を追いかけている印象派に不満だった。彼の「絵画は、堅固で自律的な再構築物であるべきである」という考え方は、続く20世紀美術に決定的な影響を与えた。
セーヌ川沿いの町アルジャントゥイユで生まれル・アーヴルで育った。少年時代は家業のペンキ屋・装飾画家の見習いをしながら、1897年頃から1899年までエコール・デ・ボザールで夜に絵を学んだ。22歳のとき、パリに出て美術学校に通う。初期の頃はアンリ・マティスの影響を受け、野獣派の作品を制作していたが、1907年、ピカソの『アヴィニオンの女達』を見たことで衝撃を受ける。以降、ピカソと共にキュビズムを発展させていく。キュビズム時代はピカソと非常に良く似た画風の作品を制作していたが、次第に独自の道を歩み始めた。晩年は静物画、室内画を中心に装飾性と単純化を押し進め、平明で抑制された作風になっていく。
1963年8月31日、パリで死去。